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Eric Donaldson
Mr.Cherry Oh Baby
 
Interview & Photo by Shizuo "EC" Ishii / Text by Toshiaki Ohba
Trancelate by Ichiro Suganuma

 

 「Cherry Oh Baby」と言えば、ストーンズもUB40もカヴァーした永遠のクラシック。その作者エリック・ドナルドソンとご対面と相成った。その顛末とインタビューをどうぞ。
 
 朝食後、ECと共にキングストンの街中から車で20分ほど走った場所にあるグラッドストン“グラディ”アンダーソンの自宅にお邪魔し、撮影をこなして昼食も食わずにホテルに戻ると、ちょうどクライヴ・ハントが友人を連れてやってきた。しばし歓談後、「そう言えばEC、エリック・ドナルドソンを探してるんだってね? 俺は用事があって行けないけど、友達が案内してくれるから車で着いて行きなよ」と思いがけない展開。実はH-Manの最新アルバム『諸法無我』に収録予定だった「Cherry Oh Baby」を日本語訳でカヴァーした「僕のベイベー♥」の使用許可がイギリスの音楽出版社から全く連絡が来ず、こうなりゃ直談判と「Cherry Oh Baby」の作者であるエリックの連絡先を探し回っていたのだ。世界の大名曲の作者と言えどもここジャマイカでは既に過去の人、連絡先を知っているプロデューサー/ミュージシャンにぶち当らず諦めかけていた折のビッグ・ニュース、「え?! それホント?! じゃ、昼飯は諦めてとりあえず行こうぜ」
 
 小雨が降る中、車を西に走らせるとすぐに左手にタフ・ゴング・スタジオが見える。どうやらこのまま西に直進して行くようだ。街並が消え、見晴らしが良くなってきた頃、どうもECの運転が怪しくなってきた。長時間のフライトに加え、NYでひと仕事後、ジャマイカに移動したかと思えばレンタカーを借りてまずはカールトン・マニングに挨拶。ホテルにチェック・インするもすぐさまレンタカーでスタジオをくまなく回り(カーナビは勿論、地図も持ってない…)、次々と超大物プロデューサー/アーティストとアポ無しで面会。連日そんなハードワーカーぶりを見せつけられていたので、この何もない一本道の運転で睡魔が襲ってきたとしても無理はない。ただ僕は「ここで死ぬのは勘弁だなあ…」と思い、無理矢理運転を代わる事にした(国際免許証なんて持っていないが…)。とにかく前を走る黒くて大きな車のケツにひっつき、泥色の川沿いの山道を走り続けた。映画『ロッカーズ』で見た事のある壊れそうな橋を通り過ぎ更に山の中へ。既にキングストンからは1時間半以上走り続けたはずだ。
 
 気付くと前の車がスピードを落とし、何やら合図を送っている。ふと見上げるとヘタクソとしか言い様の無い今にも倒れそうなマティーニ・グラスの絵が描かれた看板。そこには「Cherry Oh Baby Club」の文字が。「ここか…」。正直、身体が震えた。そしてすぐに現れた男は、当時のジャケット写真そのままの、何とも形容しがたい無骨な顔を持つ小男だった…。
 
 そしてH-Manがカヴァーする件のOKを取り、それならとECが朝3時頃の日本のH-Manにケイタイを入れると「どうしたんですか?」「エリック、OK!」。僕からすれば無茶苦茶な話だが、用件は済んだ事だし、ここまで来たんだからとインタビューもお願いした。
 
●まずバイオグラフィーを教えて下さい。
Eric Donaldson(以下E):俺はセント・キャサリンのケント・ヴィレッジで生まれた。1947年6月11日生まれだから今、60歳さ。歌を始めたのは学校に行ってた頃だ。時々教会でも歌ってたけどね。60年代になってサー・コクソンの下で1曲録音して、彼はそれを自分のサウンド・システムのスペシャルとして使用したけど、結局レコードはリリースされなかった。その後、アルヴィン・ラングリンのGGでも録音したし、J.J.ジョンソンとは「Right On Time」「Bring It On Home To Me」って曲を録音した。あと、リー・ペリーとも何曲かやったよ。「Cherry Oh Baby」を12インチでリリースしたりもしたな。まあ、そんな感じで活動していたけど、そんなに売れていた訳じゃない。あれは1971年だったかな。俺は「Jamaican Festival Song Competition」に参加する事にしたんだ。そのフェスティヴァルはジャマイカではとても大きなもので、ジャマイカの独立を祝うフェスティヴァルなんだ。1962年に独立してから毎年行われてるのさ。それに「Cherry Oh Baby」を携えて参加し優勝したんだ。その後も何回かコンペティションに参加しているんだけど、少なくとも7回は優勝した。だから俺は“キング・オブ・フェスティヴァル”って呼ばれる様になったのさ。それでダイナミック・サウンズと契約して、71年に『Eric Donaldson』っていう最初のアルバムをリリースしたんだ。「Cherry Oh Baby」「Love Of The Common People」なんかが収録された。ダイナミックでは4枚のアルバムを作ったかな。
 
●なぜキングストンに移ったのですか?
E:ここらセント・キャサリンは田舎だから仕事がなかったんだ。だからみんなキングストンとかモンテゴ・ベイとかオーチョ・リオスに出て行くのさ。俺の場合は音楽でやっていきたかった。でもここら辺にはスタジオもないし、プロデューサーもいないからキングストンに行ったのさ。ま、キングストンに行くしかなかった、って事だね。
 
●最初から歌手になろうと思ってたんだね?
E:そうさ。だからキングストンに行ったんだ。デューク・リード、サー・コクソン、J.J.ジョンソン、リー・ペリー、GGラングリン、バイロン・リーらのオーディションを受けたよ。結局は彼らみんなと録音したんだけどね。最初の内は誰かと2曲やって、また別の人と1曲やって、今度はまた別の誰かと3曲やってみたいな感じだ。その後、1985年にダイナミックを離れて、アフリカ向けに曲を書き始めたんだ。アフリカのフィーリングに合う様に有名なミュージシャンを呼んで作ったんだ。だから最後にジャマイカのステージで歌ったのは1997年で、それは「Jamaican Festival Song Competition」でまた歌った時かな。その時は「Peace & Love」って曲で優勝した。実は今までに25枚位のアルバムを出してるんだけど、ジャマイカでは4枚しかリリースされてないんだ。あとは、ブラジル、ヨーロッパ、アフリカ各国、西インド諸島の色んな国でリリースされた。1985年を最後にそうなった。1998年に作った『Peace & Love』はブラジルでリリースされて、内容もセールスもいい感じだよ。[次号に続く]
 

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